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help リーダーに追加 RSS 映画「北京の55日」の真の主役は、柴中佐!

<<   作成日時 : 2006/07/17 01:23   >>

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映画「北京の55日」でアメリカ軍将校チャールトン・ヘストンが活躍する映画を若き日に見て感激し今でもブラーザーヅ・フォァの歌まで覚えている。しかし、1900年の義和団事件の真の主役は、戊辰戦争で戦争の惨たらしさを十分に知っていたコロネル・シバこと柴五郎中佐であった。官軍の略奪暴行のを自らの目で見てきた柴中佐は、略奪暴行を許さなかった。            (宝来の熊さんの言うとおり!!)

このことが共に篭城していたマクドナルドイギリス公使が推薦し日英同盟を結ぶに至った。柴中佐の率いる日本軍の規律正しく勇敢な姿と中佐の統率力に感銘したからである。

激戦となった王府には連日連夜、数百倍の清国軍が猛攻を繰り返すのに対して、日本軍は義勇兵を入れて50数名しか居なかった。(他に清国難民の義勇兵30名)。柴中佐は、多国籍軍の指揮官として55日間を勇猛に戦い抜き規律正しく行動した。柴中佐の武士道精神に篭城した欧米人がいかに感嘆し絶賛し、中佐に限りない畏敬と信頼の念を抱いたことは、間違いない。英国公使館で婦女子が囚われたときも100名の敵兵に10名で斬りこみ救出した。婦女子が尊敬するのだからホンモノのサムライである。また、日本兵13000名を含む多国籍軍(英・米・日・ロ・独・仏・伊・墺)33.000名が駆けつけ攻撃し撃退したが海外列強軍の略奪暴行がひどく多くの人々が柴中佐の指揮下に保護を求めた。

  本「北京篭城」イギリス人書者はこう記す。
「戦略上の最重要地である王府で日本兵が守備の背骨であり頭脳だった。日本を補佐したのは頼りにならないイタリア兵で、日本を補強したのはイギリス義勇兵だった。日本軍を指揮した柴中佐は、篭城中どの仕官よりも優秀で経験も豊かであったばかりでなく誰からも好かれ尊敬された。当時日本人と付き合う欧米人はほとんど居なかったがこの篭城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範としてみんなの目に映るようになった。日本人の勇気と信頼性そして明朗さは篭城者一同の賞賛の的になった」

もしもこの王府の防御が敗れたなら公使館区域は死命を制され各国守備隊は全滅し婦女は陵辱を受け居留民は残らず惨殺される柴中佐と日本軍の奮戦なかりせば、この悲惨な運命に会うことが不可避だったからこそ篭城中の欧米人は事実上の主将柴中佐をかくも賞賛してやまなかったのだ。

PS: 宝来の熊さんに以前、日露戦争の捕虜を「武士道精神」をもって敬意を持って迎えた四国の松山の捕虜収容所の所長も会津と聞いたことがある。大いに興味をそそられている!!

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
日本人が主役とは初めて知りました。また武士道精神が世界に誇れるすばらしいものだと痛感しました。
ドラゴン
2006/07/27 23:40
 中国に老舎という作家がいます。1898年に北京で生まれました。父親は満州八旗に属す兵でした。1900年の事変に出動し、戦死してしまいました。彼の住む貧しい裏長屋(胡同)にまで、西洋の兵士たちは略奪に来たんだそうで、およそ金目の物は全て持ち去られた。(『神拳』後記)
 『神拳』は老舎の最晩年の作品で、「義和団事件」を扱った中国側の貴重な作品です。義和拳民の多くが「迷信で武装し、」などと書かれている中で、当時の一般民衆がどうして、敢えて立ち上がったのかを想像させ得る内容です。機会があったら後記を紹介したいのですが、当分は勘弁してください。
山師
2006/08/18 19:16
もとはと言えば、中国の貧困と西洋列強の植民地政策の餌食であったのだろう。このときの中国人民への略奪・暴行は、ひどかったと聞いている。特にロシアは、中国制覇をもくろみ極みをつくしたらしい。日本とアメリカは、規律が守られていた。政治とは、おかしなものである。中国は、共産国とは言え。北朝鮮、ロシアよりでアメリカ・日本と距離があるように思える。山師さんの後期に興味あり。
masamune
2006/08/31 09:57

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